ミュージシャンの枠を超え、音楽で世界を動かす、若き天才Jon Batiste。

By FEEL ANYWHERE
2022.05.23

「世界を変える30歳未満の30人」(フォーブス/2016年)に選出されるなど、20代の頃から大きな関心を寄せられていたジョン・バティステ(以下、バティステ)。音楽家でありながら多彩な活動をおこない、オスカーとゴールデングローブ賞の受賞者でもあったバティステのキャリアに、またひとつ大きな功績が付け加えられた。それはグラミー賞の受賞だ。

今年のグラミー賞で、最多5部門を受賞したバティステ。

第64回グラミー賞で、アルバム『We Are』が年間最優秀アルバム賞を受賞するとともに、最多の5部門を受賞。ノミネートにおいてはメイン部門のほか、 R&B/ジャズ/アメリカンルーツミュージック/クラシック/ミュージックビデオ/映画など多岐に渡り、その数は11部門に及んだ。バティステの実にマルチな才能を証明するものであり、これはマイケル・ジャクソン、ベイビーフェイスに次ぐ、史上3位となるノミネート獲得数だ。

グラミー賞受賞式で披露された「FREEDOM」は、スポットライトだけの厳粛なソロピアノから始まり、そのあとは一転。ダンサーたちと圧巻の歌とダンスによるパフォーマンスが繰り広げられ、ラストは客席の観客を巻き込みながらフィナーレを迎えた。「FREEDOM」で歌われる〈自由と解放〉を表現しているかのようなステージだった。まさに現在進行形のバティステの魅力が凝縮された、夢のショータイムとなった。

FREEDOM (64th GRAMMY Awards Performance) -ジョン・バティステ-

グラミー賞授賞のスピーチでは大きな拍手喝采を浴び、スタンディングオベーションを受けるなど、会場にいた人たちの心を揺り動かしたようだ。そのスピーチをの一部を紹介しよう。

「この世界に最高のミュージシャンや最高のアーティスト、最高のダンサー、最高の俳優はいないということを、心から信じているんです。」と話し始めたバティステは、次のように想いを語っていく。

“アートって主観的なもので作品は人々の心に、その人が一番必要な時に届くものだと感じています。
曲とかアルバムは「自分が作った」というよりも自然に「作られる」ものだと思っています。曲そのものがレーダーとなり一番必要としている人を見つけ出しその人のもとへ届いているような感覚です。
そして神に感謝したいと思います。私はただただ毎日音楽を作り続けることができました。それは小さな頃からずっと音楽が大好きで、ずっと音楽と遊んできたからです”

Wins Album Of The Year For ‘WE ARE’ | 2022 GRAMMYs Acceptance Speech -ジョン・バティステ-

今後はアメリカだけでなく、グローバルサイズで影響を及ぼしていくことが間違いないバティステ。日本ではまだ馴染みのない名前かもしれないが、小さい頃からの音楽キャリアを紹介するとともに、多面的な人物像にもフォーカスしその魅力を紹介していこう。

ジョン・バティステの音楽的ルーツを知る。

ニューオーリンズの有名な音楽一家に生まれたバティステは、父親やその兄弟で構成された〈バティステ・ブラザーズ・バンド〉のソウル&ファンクミュージックに触れながら、なんと8歳の時にドラムとパーカッションでバンドに参加、ミュージシャン活動をスタートさせている。幼少期から、一流の音楽がいつも側にあったことがルーツになっている。同時に、彼はほとんどの子供たちと同じようにゲームが大好きだったという。ただ少年バティステは、ゲーム音楽がプレーヤーのゲーム体験と重なり合い、物語を向上させる仕組みに魅了されていく。

“ゲームの音楽は 私にとって非常に重要であり、それは私に音楽と人生、そして、その間のすべてについて多くを教えてくれました”

バティステが語るように「ストリートファイターアルファ」「ファイナルファンタジーVII」など、日本のゲーム音楽の存在は非常に大きかった。ゲーム音楽から受ける刺激をピアノアレンジして表現することは、少年バティステの音楽に対する初期段階のインスピレーションに大きく影響したといえる。

その後、名門・ジュリアード音楽院に入学しピアノを本格的に学ぶのだが、なんとバティステは入学する前に自身初となる自主アルバム『Times in New Orleans』を発表。17歳とは思えない洗練された、ニューオーリンズ・ジャズ感が満載の本格的なジャズアルバムを作り上げたことに驚かされる。

On The River Front -ジョン・バティステ-

バティステはジャズピアニストとしての才能を開花させていくが、その枠だけに止まらず音楽のジャンルを超えて自身のイメージする音楽を進化させていく。

19歳の時にジャズの境界を広げていくことを目指し、ジュリアード音楽院の仲間たちとStay Humanというグループを結成。バティステが生まれ育ったニューオーリンズの伝統的なパレード〈セカンドライン〉をルーツとし、ファンクをジャズと融合させたハイブリッドなスタイルを確立。ストリートに飛び出し、チューバやタンバリン、ピアニカなどの楽器を取り入れたジャンルレスな音楽スタイルで、人々を巻き込みながらセッションをおこなう演奏形態を追求していった。

Love Riot in Brooklyn -ジョン・バティステ&ステイ・ヒューマン-

その後、ニューヨークに拠点を移したバティステと Stay Human は、ニューヨークの文化にジャズを絡み合わせながら、日常にいる人たちにジャズを紹介したいというモチベーションが高まっていく。そして2009年頃から、伝統的な会場やクラブで演奏することに加えて「ソーシャル・ミュージック」と称し、ストリートや地下鉄、パブリックスペースなどで、音楽を用いて平和などを訴えるパレードへと発展させていった。これは一般的な運動とは一線を画し、リズミカルな音楽で楽しいムードが醸成させた「ラヴ・ライオッツ(愛の暴動)」と呼び、通りすがりの人が体を揺らし、手拍子をしながら次々と参加していくスタイルだ。バティステはこの活動をこう表現している。

“今夜起こったことは、私たちが愛の暴動と呼んでいるものです。
音楽を通してみんなの間に広がる愛があり
私たちが通りを止めるので、それは暴動のようなものです”

Social Music -ジョン・バティステ&ステイ・ヒューマン-

2011年にはニューヨーク地下鉄構内でのパフォーマンスだけで構成されたアルバム『My N.Y.』をリリース。「これが私たちが本当に住んでいる場所」というテーマでレコーディングされたアルバムにはこんなエピソードも。

“僕たちが地下鉄の電車で演奏していた時に警察官がやってきて、演奏を中止するよう言いました。
だけど周りのみんなが「彼らに演奏させてください」と声があがったんです。
すると、その警察官は笑顔になり「これは法律に違反しているが、そうではないはずだ」 と言って演奏を続けさせてくれたんです”
※2015年6月26日 NEW YORK POST より

このエピソードこそ、バティステが理想とした瞬間だったのかもしれない。このアルバム『My N.Y.』に興味を持たれた方は是非聴いて欲しい。思わず笑顔になってしまうほど、楽しげな演奏の様子が浮かんでくるはず。

そしてこの「ラヴ・ライオッツ」が、2020年に再燃したBLM(ブラック・ライヴズ・マター)運動に繋がっていくのだが、その話は後ほど紹介することにする。

音楽家ジョン・バティステの七変化。

2018年、番組『ザ・レイト・ショー・ウィズ・スティーヴン・コルベア』でのパフォーマンス。Photo:Scott Kowalchyk/CBS via Getty Images

2018年にはジョン・バティステ名義でのメジャーデビュー・アルバム『Hollywood Africans』をリリース。バティステのヴォーカリストとしての才能を開花させ、収録曲の「Saint James Infirmary Blues 」がグラミー賞最優秀アメリカンルーツ・パフォーマンス賞にノミネートされた。アルバムの内容は、Stay Human結成時の想いと同じくジャンルレス。ニューオーリンズ・ジャズ/ゴスペル/ブルース/ラテン音楽、そしてゲーム音楽の要素も取り入れた多彩な内容となっている。ちなみにアルバムに収録されている「Green Hill Zone」は日本を代表するバンドDreams Come True の中村正人の楽曲で、1991年のTVゲーム「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」で使われていたゲーム音楽のカバーとなっている。

メジャーデビュー・アルバム『ハリウッドアメリカンズ」。(Jacket Photo)

2020年には NBAで最も注目が集まるキックオフ・ゲームで国歌斉唱アーティストに抜擢。またこの年に公開されたディズニー&ピクサー映画『ソウルフル・ワールド』では、初めて映画音楽を手掛けることなる。カーティス・メイフィールドの名曲をアレンジした「It’s All Right」は、アニメーションとは思えないほど本格的なジャズアレンジだと称賛され、第93回アカデミー賞では作曲賞を受賞している。この映画がきっかけで、日本でもバティステの名前を知った人が多いのではないだろうか。さらに世界的なパンデミックの中、2021年には名門カーネギーホールで上演された大規模なジャンル融合型のシンフォニック作品「アメリカン・シンフォニー」でバティステの楽曲が大きくフィーチャーされ、バティステの音楽キャリアはさらにアップデートされていった。

It’s All Right -ジョン・バティステ-

また音楽プロデューサーやパフォーマンス共演などを通じて、これまでにスティーヴィー・ワンダー、プリンス、ウィリー・ネルソン、レニー・クラヴィッツ、エド・シーラン、メイヴィス・ステイプルズ、マドンナ、ハービー・ハンコックなど様々なアーティストとの親交が深まっているのも、バティステが多くのアーティストから愛されていることを物語っている。

バティステは音楽活動だけでなく、その才能を様々なフィールドで発揮してきた。時にはエミー賞にノミネートされた俳優であり、時には若いミュージシャンの育成にも力を注ぐ教育者であり、時にはハーレムにある国際ジャズ博物館のアート・ディレクターでもある。人気のテレビの深夜コメディー番組「ザ・レイト・ショー・ウィズ・スティーヴン・コルベア」のハウスバンドのリーダーとしても広く知られているほか、「ラルフ・ローレン」「バーニーズ」「コーチ」などのブランドから、モデルやアンバサダーとして起用されるなど、ファッション・シーンからも熱い視線を送られている。

ディオ―ルの2018年春夏コレクションローンチイベントに参加したジョン・バティステ。Photo:Thos Robinson/Getty Images

Coach Familyとしてマイケル・B・ジョーダンと共演するジョン・バティステ  #CoachxBasquiat

ブラック・ライブズ・マター運動に呼応した「We Are」。

ジョン・バティステ、抗議運動『We Are: A Peaceful Protest March With Music』(2020年6月)にて 。Photo: Taylor Hill/Getty Images

日本でも大きく報道された2020年に再燃したBLM(ブラック・ライヴズ・マター)運動。2020年6月に、ニューヨークのユニオンスクエアで行われた抗議運動『We Are: A Peaceful Protest March With Music』において、バティステの「We Are」が演奏され、多くの人たちによって「We Are」の歌詞が連呼されていく。ここからバティステがBLM運動の象徴として、全米から大きな注目を受けることになっていく。

“僕らには未来がある、僕らは決してひとりじゃない”

この歌詞がリフレインされる「We Are」。実はまったく別のタイミングでレコーディングされていたもので、バティステが大切に思う人達に参加してもらいたいと、バティステの祖父が長老を務める教会の聖歌隊やゴスペル・ソウル・チルドレン・クワイア、バティステの出身高校のマーチングバンドが参加し完成した曲だった。BLM運動に向けた曲ではなく、バティステがStay Humanを結成した時に抱いた理想が変わることのない、彼が目指していた音楽だった。

メディアを通じて暴力的な行動で報道されることもあるBLM運動だが、バティステの目指しているものはまったく真逆だ。それは10年以上も前からおこなってきた「ラブ・ライオッツ」。音楽が真ん中にあるバティステの平和的抗議運動は、ここで大きな広がりを見せていった。

WE ARE -ジョン・バティステ-

『We Are』には、自由が溢れている。

グラミーに輝いたアルバム『We Are』は、〈分断を避け、人々が結びつく〉ことをテーマとしたアルバムであり、音楽の喜びを感じさせるピースフルな楽曲も多数収録されている。その代表的な曲が、グラミー賞授賞式でも披露された「FREEDOM」だ。

“こんな感じで身体を動かすと、なぜだかわからないけど自由を感じるんだ”

こんな歌詞で始まる「FREEDOM」は、〈社会的な型に適合しなくても、自分が輝き自由でいることが大切なんだ〉というメッセージを持ち、バティステが世界中に共有していきたかったセクシャリティにおける意識改革を歌った曲だ。

そのミュージックビデオの舞台になったのが、バティステのホームタウンであるニューオーリンズ。カラフルな住宅風景をバックに、ダンサーたちと一緒に陽気に踊り歩く姿がふんだんに登場し、見ている者をハッピーにさせてくれる至福の世界が広がっている。

FREEDOM -ジョン・バティステ-

ミュージックビデオにはバティステの母校でもあるセイント・オーガスティン高校のマーチングバンドやジョイフル・クワイヤーなどが参加、そして出演者もほとんどがニューオーリンズの人たちだという。こんな演出にもバティステの人柄と生まれ育った場所への深い愛情を感じることができる。

アルバム『We Are』は、ジャズやファンク/ヒップホップ/ゴスペルなど、バティステのルーツとなる様々なブラックミュージックがクロスオーバーする傑作。音楽的革新性はもちろん、アメリカ社会が抱える問題に対峙し、対話を試みようとするバティステの意識を感じることができるだろう。

“作品のジャンルを越えたところにある人生そのもののような作品をぶつけたかった。
僕のこれまでの人生や、先祖から脈々と受け継がれてきたものが全て詰まっている”

35歳のバティステ。私たちはアメリカだけでなく、グローバルにソーシャル的な結びつきを持ちながら、バティステと関わりを持っていくはずだ。これからのバティステのアクションにますます興味が尽きないし、同じ時代に生きることが楽しみになってくる。

PLAYLIST