あらゆるジャンルの音楽に影響を与え、その進化を早めたHerbie Hancockとは?

By FEEL ANYWHERE
2022.04.30

1960年代以降のジャズ・シーンをリードしてきたジャズの第一人者であるハービー・ハンコック(以下、ハービー)。従来のスタイルに拘らず常に新しいものを融合させ、フュージョン、ジャズ・ファンク、ストレートアヘッド・ジャズなど多彩なジャズ・スタイルを切り拓いてきたジャズ・ミュージシャンだ。またハービーが与えた影響はジャズだけに止まらず、私たちがいつも聴いているポップスやロック、ヒップホップなど、様々な音楽ジャンルに及んでいることを忘れてはならない。ハービーは偉大なジャズ・ミュージシャンであるとともに、音楽における変革者でもあったと言える。現在は自身の音楽活動のほかにユネスコが主催するジャズを祝う国際デー「国際ジャズデー(International Jazz Day)」の親善大使を務めるハービー。ジャズで世界各国を繋げていくビッグプロジェクトを担う中心人物の1人としても精力的な活動をしている。今回の特集では、膨大なキャリア作品からハービーの変革者としての真髄を深く知ることのできる作品をピックアップし、彼のキャリアを振り返ってみる。

ミュージシャンのスタートとなった「ウォーターメロン・マン」。

ジャズピアニスト「ハービー・ハンコック」(1968年)。Photo: Jack Robinson/Hulton Archive/Getty Images

ハービーの音楽活動に大きな転機が訪れたのは1960年12月の冬。トランペッターとして大注目されていたドナルド・バードとの出会いだった。ドナルドはジャズの神様と言われたアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズで活躍したスタープレイヤーで、当時は彼のクインテット(5つの楽器によるジャズ演奏の形式)を結成し活動していた。そのクインテットがシカゴでのライヴ公演を前にして、ピアニストにアクシデントが起きてしまう。その代役として地元でピアニストとして頭角を現していたハービーに声がかかったのだった。

一夜限りのステージであったにも関わらず、ドナルドはハービーのプレイを気に入り、才能も感じ取った。そしてジャズのメッカであるニューヨークで自分のクインテットのメンバーとして演奏して欲しいと誘いをかけたのだ。ハービーの決断は早かった。それから1ヶ月も経たないうちに、ニューヨークに拠点を移しプロミュージシャンとして活動をスタートさせていく。この時、ハービーは20歳になったばかり。

1960年頃のニューヨーク市6番街のストリートシーン。

その後、ライヴでのセッションマンとして2年間ほど実績を重ねていくと、ドナルドからオリジナルレコードの制作を勧められる。そして完成したのが記念すべきファーストアルバム『テイキン・オフ』(1962年)だ。

ジャズレコードがランクインすることがほとんどなかった時代、デビューアルバムにも関わらず『テイキン・オフ』は Billboard Hot100で84位まで上がった。特筆すべきはオープニングナンバーの「ウォーターメロン・マン」。ハービーが初めて作曲した楽曲と思えないほどのオリジナリティに溢れ、これまでのジャズナンバーには無かったファンキーなテイストは多くの人を魅了し、遂にはシングルカットまでされた。

Watermelon Man -ハービー・ハンコック-

そして「ウォーターメロン・マン」は現代にいたるまで様々なアーティストに愛され、数知れず演奏される名曲となっていく。ハービーのキャリアを紹介する上で、この楽曲を欠かすことのできない理由はここにある。その代表的なアーティストがキューバのコンガ奏者のモンゴ・サンタマリア(以下、モンゴ)。「ウォーターメロン・マン」を演奏するハービーのステージにモンゴが飛び入りで参加。そこで彼はコンガを刻み始め、即興でのラテン・バージョンとも言える「ウォーターメロン・マン」にマッシュアップさせていった。

観客たちが興奮する姿を見てモンゴは、この曲をカバーさせて欲しいとハービーに懇願すると、ハービーはふたつ返事でOKしたという。その結果、モンゴの「ウォーターメロン・マン」はBillboard Hot100で11位にランキングされ、1998年にはグラミーの殿堂入りを果たした。『テイキン・オフ』のセールス的な成功から1年後、ハービーはさらに大きな名声を獲得することになった。そしてこの年から10年後、「ウォーターメロン・マン」はハービー自身の手により、さらに劇的な進化を遂げることになるのだが、その話は後ほど紹介しよう。

Watermelon Man -モンゴ・サンタマリア-

モンゴの「ウォーターメロン・マン」の大ヒットは、所属するジャズレーベル〈ブルーノート〉の新主流派の中心アーティストとしてハービーを押し上げていく。そしてハービーが崇拝するマイルス・デイヴィスが率いるクインテットにも抜擢される。モダン・ジャズのスタイルを確立したマイルスと共演することで多くのものを学び、自分が取り組む音楽にも手応えを感じるようになっていたハービーは、それを自分なりに試してみたいという気持が日に日に高まっていく。そして完成させたアルバムが、その後ジャズの名盤として聴かれ継がれていくことになる。『処女航海(Maiden Voyage)』(1965年)だ。

1967年、ピアニスト「ハービー・ハンコック」とともに演奏するジャズトランペッター「マイルス・デイビス」。 Photo: David Redfern/Redferns/Getty Images

まるで、ミュージカルを見ているかのようなアルバム『処女航海』。

ジャズピアニスト/作曲家のハービー・ハンコック。Photo: Jack Robinson/Hulton Archive/Getty Images

このアルバムの1曲目を飾りアルバムタイトルになった「処女航海」は、ロバート・グラスパーやTOTOのほか数多くのアーティストにカバーされつつ、2017年にはuDiscoverMusicのスタッフが選出した「ジャズ100年の歴史を彩る100曲」のひとつとしても挙げられている。しかし この曲を紹介するのに一番適しているのはハービーの言葉だ。彼自身が「自分のあらゆる曲の中で最高の作品」と評するほど、この楽曲を一番愛しているのだ。そこにはどんな物語があったのだろうか。

2017年の洋楽サイトuDiscoverMusicの特集「ジャズ100年の歴史を彩る100曲」で「処女航海」が選出される。

この楽曲はもともと男性オーデコロンのコマーシャル用に作ったものを、きちんと作品として残したいというハービーのモチベーションで、時間をかけて再度作り直されていく。さらに複数の楽曲もできアルバム作品へと発展していくのだが、アルバムが完成しても良いタイトルがハービーに浮かんでこなかった。そこで妹のジーンとその友人にヒントをもらおうと、完成したアルバムを聴いてもらうことに。そうするとジーンの友人は「水を連想する」と言い、ジーンは「最初の曲は航海のような感じがする。そう、処女航海ね」と感想を述べた。それを聞いたハービーは直感的にそれがオープニングソングのタイトルであり、アルバムタイトルに相応しいと感じたのだ。

またこの「処女航海」を完成させる過程で思うように創作活動が進まなかった時、妻のジジが常に励ましてくれのだという。ハービーは自身の自叙伝でこう語っている。

”いまもそうだ、ソロ・ピアノをやるときはかならずこの曲を選ぶ。この曲はある意味でジジへのトリビュート・ソングだ。私をベッドから追い出して最後まで仕上げさせてくれたのは彼女だから”
※2015年 DU BOOKS 『ハービー・ハンコック自伝』 ハービー・ハンコック 著/川嶋文丸 訳 より

Maiden Voyage(処女航海) -ハービー・ハンコック- (Live @ BET on Jazz 2001)

〈海〉を主題にしたトータルな流れをそなえる斬新なコンセプト・アルバムとして『処女航海』は大きな評価を得るのだが、信頼のおける家族たちのアドバイスや協力なしでは生まれなかったのかもしれない。オープニングの「処女航海」は、新しいヨットで航海にでかける様子をハービーのピアノが穏やかに弾き語っている。しかしその後、台風に遭遇(「ジ・アイ・オブ・ザ・ハリケーン」)する場面では演奏は激しく荒ぶるものに変わり、生死を彷徨いながらも生き延びる4曲目「サヴァイヴァル・オブ・ザ・フィッテスト」は、10分を超える演奏で厳粛な演奏で生きる希望を表現している。

そして、アルバムの最後の曲が「ドルフィン・ダンス」。嵐が過ぎ去った穏やかな海で目にしたのは、イルカたちが大海原を飛び跳ねている光景だ。ハービーは海にキラキラと反射する陽光の様子を美しいピアノで奏でている。この『処女航海』に収録された5曲は、まるで人生そのものの羅針盤のようであり、新しい音楽に向けて船出をしていく25歳のハービーの決意が現れているかのようだ。プレイリストの「ドルフィン・ダンス」が気になった人は、そんな視点でアルバムを聴いてみることをおすすめしたい。さらにこの曲が味わい深くなるのと同時に、このアルバムそのものがあなたの人生においても重要なものになるかもしれない。

Dolphin Dance – ハービー・ハンコック- (Trio Live in Switzerland, 1984)

ジャズのみならず様々な音楽に影響を与えたアルバム『ヘッド・ハンターズ』。

ハービーハンコック。 Photo:Tom Copi/Michael Ochs Archives/Getty Images

正統なジャズにファンク的な要素を取り入れたことで、新しいジャズの可能性を提示した「ウォーターメロン・マン」を発表してから11年。ハービーはアルバム『ヘッド・ハンターズ』(1973年)で、ジャズとファンクの融合をさらに追求していく。

このアルバムの1曲目を飾るのは「カメレオン」。いま聴いても即興性とファンクテイストなリズムやサウンドを取り入れた独創的なスタイルは、30年前のものとは思えない斬新さを感じることができる。15分44秒という長いトラックではあるものの、16ビートを刻むメロディは何度も転調を重ね、そしてハービーのシンセサイザーの音色は多彩に変化し、聴く者を飽きさせない。またハービーたちのエネルギッシュなセッションの熱量さえ感じることができるのではないだろうか。これまで土着的と捉えられていたファンク・サウンドを洗練されたものに進化させていった瞬間でもあった。

Cameleon -ハービー・ハンコック- (HeadHunters live in Bremen, Germany @ Musikladen, 1974)

アルバム『ヘッド・ハンターズ』には、もうひとつのサプライズな楽曲が収録されている。それは10年前に発表した「ウォーターメロン・マン」を新しいアプローチとアレンジで生まれ変わらせたことだ。様々な手法やアレンジを取り入れレコーディングを重ねていくうちに、ハービーたちの音楽はさらに新しいタイプのバンドに変革していったようだ。それはいままで存在しなかった音楽のスタイルである〈ジャズ・ファンク・フュージョン・バンド〉の誕生だった。しかしこのような実験的なアルバムに、レコード会社の担当者たちの反応は鈍かったという。ところがアルバムがリリースされるやいなや、ジャズやファンクに関心のないリスナーを巻き込み、『ヘッド・ハンターズ』はジャズアルバムとしては史上空前の大ヒットとなる。

歴史的名盤とも言われ、ハービーが初めてビルボードのジャズ・チャートで1位を獲得したアルバム『ヘッド・ハンターズ」。(Jacket Photo)

ハービーの作るサウンドが正統派スタイルから変化していくほど、保守的なジャズ関係者や愛好者からは酷評されていたのは事実で「ハービーの音楽は商業主義に堕したクズである」とまで言われるようになっていた。しかしハービーはそんな言葉にも屈することはなかった。

“人は開かれた心をもっていなければいけないし、物事を簡単に諦めてはいけない。閉ざされた心の持ち主は、エレクトリック楽器の演奏テクニックが時を経るにしたがって向上するという事実を理解しようとしない。シンセサイザーをニュアンス豊かに演奏することはとても難しい。だけどいつまでも、そのままだとはかぎらない。私は7歳のときにピアノを弾き始めた。人が7歳でシンセサイザーを演奏し始めれば将来どうなるか 想像してほしい”
※2015年 DU BOOKS 『ハービー・ハンコック自伝』ハービー・ハンコック 著/川嶋文丸 訳 より

既存の感覚に囚われるこなく、音楽の未来を見据えていたハービー。新たなジャズの可能性を見出しただけでなく、現代に繋がるあらゆる音楽ジャンルに大きな影響を与えた『ヘッドハンターズ』。そしてこの作品は、音楽の進化をさらに加速させた『フューチャー・ショック』に繋がっていく。

世界中を釘付けにした「Rockit」。

スクラッチが使用された最初期のメジャー・ヒット曲として知られる「Rockit」(グラミー賞受賞)が収録されたアルバム『フューチャー・ショック」。(Jacket Photo)

2024年パリ五輪で新種目に採用され、大きく注目を集めるブレイクダンス。国内の小中学校でのダンス必修化やダンスバトルブームなどもあり、ブレイクダンス熱はますます高まっている。若い世代の人もビースティ・ボーイズやRUN DMC、ウェスト・ストリート・モブなどのクラシカルなブレイクダンスナンバーに触れる機会が多くなっているのではないだろうか。その特徴はレコード・プレイヤーのターン・テーブルを手で廻し、レコードと針の擦れる音をリズミカルに曲に合わせる〈スクラッチ〉を駆使している点だ。いまではアーティストたちの当たり前の音楽表現となっている〈スクラッチ〉だが、これにもハービーの大きな関わりがある。

それは1983年にリリースした「Rockit」が、グラミー賞を受賞したことと大きく関係している。正統派のジャズ・ピアニストとかけ離れた大きなキーボードを肩からかけた姿でグラミー賞授賞式のステージに登場したハービーの姿も強いインパクトだった。そしてさらにニューヨークの若手ヒップホップDJであるグランド・ミキサーDXTを起用し、ステージでレコードを擦りまくらせたのだ。この時、世界で初めて〈スクラッチ〉がテレビで披露され、世界中の人に大きな衝撃を与えた瞬間だった。「Rockit」が存在したことで、間違いなく様々なジャンルの音楽が劇的に変化していったのだ。

Rockit -ハービー・ハンコック(Official Video)

どの時代のハービー作品を最初に聴くかで、その印象は大きく変わることだろう。すなわちそれこそが、ハービーの音楽は停滞せず常に進化し続ける証であり、ハービーの真骨頂でもある。今回紹介したプレイリストには、ハービーが初めて映画音楽に取り組んだ「キュリオシティ」(1966年)、セロニアス・モンクのカバー曲「ウェル・ユー・ニードント」(1981年)、 ジョン・メイヤーをフィーチャリングした「スティッチト・アップ」(2005年)など、また趣の異なる楽曲も取り上げているので、是非あわせて聴いて頂きたい。そして少しでも興味が持ってもらえたなら、ハービーのアルバムに耳を傾けて欲しい。

PLAYLIST