様々な境界線に風穴を開ける若きイノベーター Lil Nas X。

BY FEEL ANYWHERE
2022.08.18

いまや世界中を席巻している若き才能リル・ナズ・エックス(以下、リル・ナズ)。Twitterで790万人、 Instagramで1,248万人のフォロワー、YouTubeで1,850万人の登録者、Spotifyの月間リスナーは4,000万人以上(2022年7月時点)と、とてつもないバズを生み出している。またリル・ナズは、保守的な考えが残るブラック・コミュニティの中で同性愛者であることを公言した数少ない黒人ラッパーとしても有名だ。その一方で、これまでにリリースしたアルバムは『MONTERO』の1タイトルのみながら様々なメディアや音楽サービスで取り上げられているので、彼の楽曲を一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。その一方でどんなアーティストであるか結びついていない人も多いかも知れない。しかし大きな物議を醸し出した純白のガウンと花冠を身につけ、マタニティ姿となった黒人男性のこの写真を目にして驚いた人も多いのではないだろうか。


これは1stアルバム『MONTERO』のプロモーション用に企画されたもので、彼のお腹の中には新しいアルバムが宿っているというメッセージを大きなインパクトで表現しようとしたアイデアによるものだ。SNSを味方にするだけでなく、どうすれば大きなバズが生まれるのかを徹底して考え抜いたリル・ナズの大胆な発想力がすごい。そんな彼のセンセーショナルな露出に目が行きがちであるが、これまでと現在を深堀りしてみると、自分と社会との関係を常に模索し続けていることが理解できる。今回はそんな23歳にしてエンタテインメント・シーンの頂点に立とうとしているリル・ナズ・エックスの知っておくべきエピソードを紹介していこう。

自分が同性愛者であることを誰にも言えなかった10代。

リル・ナズ(本名:モンテロ・ラマー・ヒル)は1999年4月9日、ジョージア州アトランタ郊外の小さな町リチア・スプリングスで生まれた。自我に目覚めた頃、すでに自分が同性愛者であるというセクシャリティを意識し始めていた。古い価値観が残る田舎町では、LGBTQに対する考えはまだまだ保守的な考え方が残っている。そんな中でカミングアウトを選んだ友人たちが周囲から心ない言葉をかけられたり、いじめられたり、同性愛嫌悪を受けていたことを知っていたリル・ナズは、自分の意に反して本当の自分を隠し周りに溶け込もうとしていた。特に中学生や高校生の頃は、すごく難しい時期だったと語っている。

Lil Nas X – SUN GOES DOWN (Official Video)
※10代のモンテロ・ラマー・ヒルが自身のセクシュアリティを受け入れることができなかった苦しみが歌われている。そんな過去の自分に対してリル・ナズが励ますものだ。彼の根底にあるものを感じることができる。

また彼の家族は敬虔なクリスチャンだった。聖書に「同性愛は罪」という教えがあったから、リル・ナズは自分が同性愛者ということは絶対に言えなかった。彼は家にも学校にも、本当の自分の居場所がないと感じていた少年だった。リル・ナズの唯一の居場所はインターネットだった。そんな彼が、いかにしてスターダムを駆け上がっていったのだろうか?

インターネットから生まれた世界的なバズ。

ビリー・アイリッシュもそうであったように、リル・ナズの音楽の芽が開いたのも自分の部屋だった。クローゼットの中でヘッドフォンを付けてSoundCloudのラッパーたちを毎日聴き漁り、自由な時間すべてをTwitterやInstagramに費やし続けていた。そんな時、オンライン上で発見したあるトラックにビットが立ったリル・ナズは、そのトラックの制作者であるオランダ人プロデューサーから30ドルで音源を購入。ナイン・インチ・ネイルズの「34 Ghosts Ⅳ」からサンプリングしたバンジョーの音色と、リズムマシーンのトラップ・ビートで構成されたトラックは、リル・ナズにとって非常に刺激的な音楽だった。彼はカントリー・ラップ調のマスターピースと捉え、孤独なカウボーイをモチーフとしたリリックを重ねていく試みを始めた。それが、世界的なバズに繋がる「Old Town Road」(2018年10月)の誕生だった。

2019年4月 ステージコーチフェスティバルでパフォーマンスするリル・ナズ・エックス。Photo:Scott Dudelson/Getty Images for Stagecoach

これまで受信者だったリル・ナズは、発信者としてどうやってたくさんの人にこの音楽を届けるか考えるようになる。彼が力を入れたのが「ミーム」(日本でいう「知恵袋」のようなサイト」)で、自分の作った「Old Town Road」について100以上の投稿をしていく。

“この歌詞はなんの曲?こんな曲を見つけたけど、フル音源はどこにあるの?”

自作自演の書き込みというプロモーションは、少しずつ再生数をUPさせていく。最初に人気に火がついたのはTikTokだった。「Old Town Road」に合わせてカウボーイ、カウガールに変装した動画が #Yeehaw Challengeで次々に投稿されストリーミング再生数が急上昇。またジャスティン・ビーバーが自身のInstagramで「この曲ヤバイ!」と紹介したことで、さらに拡散スピードは増してく。自主制作でリリースしたこのシングルは、BillboardのR&B /ヒップホップソング・チャートとカントリーソング・チャートの両方にランクイン、「Old Town Road」はカントリー・ラップというイメージも定着していく。

音楽ジャンル、人種、セクシャリティ。すべての境界を超えていくLil Nas Xのバイタリティ。

しかしBillboardは「Old Town Road」が、カントリーミュージックとしての要素を満たしていないとみなしチャートから突然除外。これに対し一部のアーティストやファンから「カントリーは白人の音楽だから、黒人が歌うとこんな憂き目にあうのか」と大きな反発が巻き起こる。リル・ナズはこれをチャンスと捉えていた。そしてこの騒動は結果的にリル・ナズへの関心度を高めることになり、「Old Town Road」は遂にBillboardチャートで1位を獲得するのである(その後、カントリーチャートにも復帰を果たしている)。そして決定的だったのが、カントリーのトップシンガーであるビリー・レイ・サイラス(以下、ビリー)が同曲のサポートを表明したこと。

“リル・ナズは凄い革命を起こしている。
しかし、そういう人間だけが追放される。
自分はリル・ナズを歓迎する”

Lil Nas X – Old Town Road (Official Video) ft. Billy Ray Cyrus
※自身のセクシャリティを公表する前の作品。彼が本来の自身とは違う人間を演じているという視点で見ると、違った見方ができるのでは。

さらにリル・ナズは信じられないことを試みる。BET Awardsでビリーとともに「Old Town Road」のパフォーマンスをおこなったのだ。このBET Awardsは様々なエンタテインメント業界で活躍する黒人たちが、アワードで差別されているのでないかという背景で生まれたものだ。言うなれば、黒人にスポットライトを当てたアワードとして2001年に創設された。ここに、白人のビリーが登場することは大きなサプライズだった。

Lil Nas X & Billy Ray Cyrus Bring The Old Town Road To The BET Awards Live! | BET Awards 2019
※BET Awardsでのパフォーマンス(2019年6月23日)。

人種問題がベースとなった音楽ジャンル論争。リル・ナズは自身の力で、複雑に絡み合う問題に風穴を切り開いていこうとしていた。さらにリル・ナズは畳み掛ける。DiploやYoung Thug、 Mason Ramsey 、BTSのRMなどと一緒に「Old Town Road」のリミックス・バージョンを次々と発表。ロングスパンで話題を振りまいた「Old Town Road」は、 Billboardチャートで史上最長の19週間連続1位という大記録を打ち立てた。クローゼットの中で感じた閃きから僅か1年。こんなに快挙を成し遂げてしまうとはリル・ナズ自身も思ってもみなかったことだろう。そして第64回グラミー賞では6部門にノミネートされ、2つのアワードを獲得するという偉業を成し遂げる。リル・ナズ・エックスという名前は全米、そして世界中に知れ渡っていくことになっていった。


古い価値観の音楽ジャンル論争や人種問題について問題提起したリル・ナズには、もうひとつやらなければならないことがあった。それは長年隠し続けていた自分のセクシャリティをカミングアウトすることだった。モンテロ・ラマー・ヒルとしては言えなかったことが、誰もがその存在を知るようになった〈リル・ナズ・エックス〉になったことで、その扉をようやく開く決心ができたのだろう。とは言えカミングアウトをする前には、ファンに捨てられるかもしれないという想いも逡巡し不安があったという。 しかし、6月のプライド月間(LGBTQ+の権利を啓発する活動・イベント)で同性愛のカップルが、プライド旗を振りながら手をつないで歩いたり、メッセージボードを掲げて歩いている光景を見たことが、彼の背中を押したのだという。

“すでに気づいていた人もいれば、そんなことどうでもいいって人、 もう僕と話をしないって人もいるだろう。でも、プライド月間が終わる前に、「C7osure」をじっくり聴いていてほしいんだ”

リル・ナズが Instagramに投稿し「聴いていてほしい」と言った彼の楽曲「C7osure」の歌詞の一節はこちら。

“もう演技なんてしない。
天気予報で「自分を成長させてやるべき」と言ってる。俺にはもう赤信号はない。
ベイビー、青だけだ。もう行かなきゃ”

Lil Nas Xは新世代型エンターティナー。

2020年のグラミーでは2部門を受賞。Photo:Amanda Edwards/Getty Images

自身のセクシャリティをカミングアウトした後のリル・ナズは、これまでの鬱積を解き放つように大胆な表現やパフォーマンスを繰り広げる。その傑作がグラミー受賞をしたのちにリリースした、カニエ・ウェストとTake A Daytripの共同プロデュースによる「INDUSTRY BABY」だ。その歌詞は“一発屋のヒット”と揶揄されたことに対する強烈なカウンターパンチとなるメッセージがフィーチャーされた楽曲である。

“これはチャンピオンにふさわしい一曲だ。
俺は初めから負けてなんかない。
もう終わりだなんてお前が言ってたのがウケるぜ。俺はまたやってやったぜ”

またミュージックビデオでは獄中を舞台に大勢の裸の男性たちと全裸でダンスを踊ったり、男性同士の性的な行為を思わせる表現をするなど、これまでに誰もできなかったことに挑戦している。

リル・ナズ・エックス「INDUSTRY BABY | インダストリー・ベイビー」Music Video(歌詞・対訳あり)
※センセーショナルな面が取り上げられがちだが、非常に深いストーリー構成になっているMV。リル・ナズのセンスが光るダンスも見所。

このミュージックビデオは「子供が観るのに不適切」などの様々な批判を受けることになる。それに対するリル・ナズの反論が痛快だ。

“ニガーが複数の女性と寝るラップばかり歌っていても君たちはみんな黙っている。でも僕は少し性的なことをしただけで性的に無責任とか、より多くの男性がエイズで死ぬ原因になっていると言われる。君たちはみんなゲイを憎悪している。それを隠すな”

またステージにおけるリル・ナズのエンタテインメント性には、これまでのヒップホップ・アーティストとの根本的な違いで魅了される。リル・ナズには決まりきったルールというものがない。そこで表現されるのはリル・ナズの圧倒的な自己表現のオンパレードだ。まるでディズニーのショーのようであり、新しいアートのパフォーミングのようでもある。そんな姿はリル・ナズがアイコニック的な存在になることによって、彼の表現に余白を残し、その解釈を見る側に委ねるコミュニケーションを行っているかのようにも感じる。そしてアメリカ社会が抱える様々な問題を解き放つと、こんなにも自由な表現ができるのだということを教えられているようだ。

Lil Nas X Performs A Royal Rendition Of ‘Montero (Call Me By Your Name)’ | BET Awards 2021

Lil Nas X – DEAD RIGHT NOW/MONTERO/INDUSTRY BABY (64th GRAMMY Awards Performance)
※第64回グラミー賞でのパフォーマンス。ここまでダンス表現ができるヒップホップ・アーティストって、これまでいただろうか?

Lil Nas Xはヒップホップの新時代を切り拓いていけるのか?

今年開催されたBET Awardsでは、ある事件が起きる。1stアルバム『MONTERO』が大ヒットしグラミーを獲得したにもかかわらず、リル・ナズの名前がノミネートになかったのだ。実はヒップホップ・コミュニティには同性愛者を受け入れないという保守的な考えが存在する。ゲイである黒人というレッテルが貼られたら、シンプルに音楽だけの評価がされなくなる、そんなことも実際あるようだ。あるいは2019年のBET Awardsで、白人のビリーとパフォーマンスをしたということも逆風になったのかもしれない。リル・ナズはすかさず“ファックBET”というフレーズを含む「Late to da Party」を発表、BET Awardsの問題点に抗う姿勢を見せている。この件についてリル・ナズはTwitterでも次のようにコメントしている。

“世界で最も由緒ある賞の授賞式で認められたのに、自分の仲間たちからは1つもノミネーションをもらえないというのはどういうことなんだ?”

Lil Nas X, Youngboy Never Broke Again – Late To Da Party (F*CK BET) (Official Video)

またこの問題提起はBET Awardsだけでなく、黒人社会における同性愛嫌悪という大きな問題についての意識も覗かせている。ヒップホップ・コミュニティにおけるLGBTQを取り巻く状況はまだ厳しいという現実を教えられた出来事だ。

いままでに様々な逆風を受け続けてきたリル・ナズは、あるアーティストの生き様に重なって見える。それはロックンロールを誕生させ〈キング・オブ・ロックンロール〉と呼ばれたエルヴィス・プレスリーだ。白人音楽だったカントリーソングにR&Bなどの黒人音楽を融合させた新しい音楽は、多くの白人カルチャーから大きなバッシングを受けた。そしてロックンロールは、公序良俗を乱すものだとレッテルを貼られる。映画『エルヴィス』を見た人なら、どこかリル・ナズと共通する点を感じるのではないだろうか。

“黒人”で“ラッパー”のリル・ナズがカミングアウトしたことは革新的であり、若者や社会全体に与えた影響も大きかったと思う。これからブラック・カルチャーにおいてリル・ナズという存在が認められ、音楽ジャンルやミュージシャンたちが融合していくようなことが起きたら、リル・ナズはさらに新しい音楽の未来を築けていけるのだと思う。彼はその革命に挑んでいるのかも知れない。

ここまでのリル・ナズの発言や行動を振り返ると、彼がエキセントリックな人物に感じる人もいるかも知れない。しかし GQ JAPANの密着映像を見れば、その素顔は笑顔が似合う、チャーミングでフレンドリーな人柄であることがわかるだろう。

Lil Nas Xの24時間に密着 | GQ JAPAN

最後に。リル・ナズは「2022 MTV ビデオ ミュージック アワード」で、ビデオ・オブ・ザ・イヤーとアーティスト・オブ・ザ・イヤーを含む7部門でノミネート。2022年8月28日に授賞式がMTVで生放送される。ここから、リル・ナズ・エックスの新たな挑戦が始まるのか注目していきたい。

PLAYLIST