ジャンルレスなニュースターHarry Stylesの音楽原点と現在。
BY FEEL ANYWHERE
2023.01.17
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2023.01.17
ワン・ダイレクション時代から世界的な人気を持つハリー・スタイルズ。2022年はアメリカ最大の音楽フェスティバル『コーチェラ・フェスティバル』のヘッドライナーに登場して大きな話題を振り撒き、最新アルバム『Harry’s House』は2022年を象徴する重要作品としてクローズアップされている。そして今年の3月には約5年振りの来日公演が決定、国内でもハリー・スタイルズに対するムーブメントが再燃しそうだ。そんなハリー・スタイルズの音楽的な原点とソロアーティストとしての歩みに触れ、ハリー・スタイルズの人物像を改めて紐解いていこう。
※ハリーのサクセスストーリーが始まったオーディション番組「The X Factor」の、決勝戦前に行われた記者会見でのハリー・スタイルズ。
Photo:Mike Marsland/WireImage
ハリー・スタイルズ(以下 ハリー)に音楽的な影響を与えたのはエルヴィス・プレスリーだった。祖父母がいつもエルヴィスを聴いていたのがきっかけで、小さい頃からよくカラオケで歌っていたらしい。ハリー自身も「エルヴィスは僕が子供の頃、家族以外で初めて知った人かもしれない」と語っているほど、エルヴィスをヒーローとして崇め夢中になっていたのだ。そしてハリーはエルヴィス以外にも、古き良きミュージシャンをこよなく愛し続けている。世界的なブルー・アイド・ソウルシンガーであるヴァン・モリソンや、フォークやポップ、ロック、ジャズなどのジャンルにとらわれることのないシンガーソングライターのジョニ・ミッチェル。
そのほかにもポール・サイモンやエタ・ジェイムス、ウィングス、キャロル・キング、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング、そして1970年代前後のポップスやロックなど多岐に渡るアーティストに影響を受けていると語っている。そう、ハリーは自身が興味を持つ音楽に対しては貪欲に、そしてジャンルレスで耳を傾け続ける若者だった。そんなハリーはハイスクール時代にホワイト・エスキモーという念願のポップ・ロックバンドを結成、リード・ボーカルとして多くの学校でライブを行い、バンドコンテストで優勝をした経験もしている。
White Eskimo:Harry Styles – Summe of 69
そんなバンド活動をしながら出場したイギリスのオーディション番組「The X Factor」から、ハリーのサクセスストーリーが始まっていく。そこで歌ったのは、彼が生まれる18年前にリリースされたスティービー・ワンダーの「Isn’t She Lovely」。まだあどけなさが残りながらも、表情豊かに歌い上げるハリーに魅了させられる。実はこの時「The X Factor」でハリーが最初に歌ったのは、トレインの「Hey, Soul Sister」(2009)だった。
審査員のサイモン・コーウェル(以下コーウェル)が「曲が邪魔になっているのか分からないけど、音楽なしで君の歌声だけ聴かせて欲しい」と問いかけたことから、ハリーは「Isn’t She Lovely 」をアカペラで披露し、最終的にそれがきっかけで次のラウンドへと進むことになった。即興でスティービー・ワンダーを歌うことができたのも、彼が子供の頃から触れてきた音楽体験を振り返ると納得できる。また当時のバンドメンバーたちは、ハリーが「The X Factor」に出演している間も応援していたそうで、「彼の成功をうれしく思っていた」というほっこりするエピソードも残っている。
Harry Styles Audition: EXTENDED CUT | The X Factor UK
※本番前に16歳のハリーが将来の夢を語っている貴重な映像。また バックヤードでは家族みんなが見守る姿も映されている。
ハリーは〈ブートキャンプ〉に進んだが〈審査員の家〉に進むことはできなかった。しかし審査員のコーウェルとニコール・シャージンガーが、ボーイズグループを結成することを思いつき、 同じく〈審査員の家〉に進めなかったナイル・ホーラン、リアム・ペイン、ルイ・トムリンソン、ゼイン・マリクとともに急遽結成されたのがワン・ダイレクションだった。オーディションでは最終的に3位に終わったが、コーウェルが主宰する音楽レーベルと契約を結びデビューアルバムの準備をスタートさせる。
※世界的なムーブメントを湧き起こした、ワン・ダイレクションのメンバー。右端がハリー。
Photo:Christopher Polk/Getty Images for Clear Channel
2011年9月にリリースしたデビューシングル「What Makes You Beautiful」は全英シングルチャートで1位に輝くと、11月リリースの1stアルバム『Up All Night』も大ヒットとなり、2011年にイギリスで最も売れたデビューアルバムとなった。またアメリカでもデビューアルバムが1位を獲得した初のイギリスのグループとなるなどの大きな成果を上げていく。2013年のワールド・ツアーでは日本を含め計23カ国で合計200万人を動員。さらに、2014年には350万枚以上のチケットを売り上げたワールド・ツアーを敢行するなど、人気のスケールに圧倒される唯一無二のボーイズグループだったと言えるだろう。その人気は日本でも爆発し、NTTドコモのテレビCM出演(2014)や、映画『好きっていいなよ。』(2014)主題歌に「ハッピリー」が起用されたほか、数々の雑誌の表紙を飾っている。
One Direction – What Makes You Beautiful (Official Video)
世界的なワン・ダイレクションのムーブメントが沸き起こる中、ハリーに早くもロマンスが生まれる。その相手は第52回グラミー賞で最優秀アルバム賞を史上最年少受賞し、トップ・アーティストに上り詰めたテイラー・スウィフトだった。このロマンスはファンのみならず、多くの人の関心の的となっていった。翌年リリースされたワン・ダイレクションの2ndアルバム『Take Me Home』には、二人の恋を歌ったのではないかと噂された「Little Things」が収録されている。
One Direction – Little Things
残念ながらこの若いカップルの恋愛は2013年に破局してしまう。破局後に発表されたハリーの「Two Ghosts」(2017)や、テイラー・スウィフトの「I Knew You Were Trouble」 (2012)、「Style」(2014) は、お互いに相手に向けて書いたのではないかと言われており、いまだに2人の関係性に注目しているファンは多い。そんな噂に『Rolling Stones』のインタビューでハリーは次のように語っている。
“彼女は僕にいい曲だなんて
言ってもらわなくたっていいでしょう。
いい曲だよ。
今までで一番すばらしい
言葉にしない対話だね”
ハリーが別れたあとでもテイラー・スウィフトを尊重していることを表す素敵な言葉だ。
ワン・ダイレクションはデビューアルバムから4枚のアルバム全てが、Billboardで初登場1位となった初めてのグループとなるなど高い人気を保ち続けた。そんな中、2015年3月にツアー中にゼインがグループを脱退。その後もメンバー4人でグループとしての活動を続けたが、5thアルバム『メイド・イン・ザ・A.M.』をリリースした後、各自がソロ活動に専念するため2015年の年末でワン・ダイレクションは活動を休止する。
ハリーは2016年6月に名門レーベル コロンビアレコードとソロアーティスト契約を結ぶ。 そして翌年4月ソロとしてのデビューシングル「Sign of the Times」を発表。20カ国以上で1位を獲得した。この楽曲はこれまでのワン・ダイレクションのアプローチと異なるのはもちろん、当時流行していたEDMでも、クラブで流れるようなダンスミュージックでも、ましてやラブソングでもなかった。それはグラムロックをベースにした壮大なパワーバラード・ナンバー。余命を5分と告げられた若い母親について歌ったとハリーが語る通り、彼が根本的に考えていた「生きることの困難さ」に向き合う内容になっている。「Sign of the Times」はソロアーティスト〈ハリー・スタイルズ〉の方向性を明確に打ち出した、まさに羅針盤のような作品だ。
Harry Styles – Sign of the Times (Official Video)
そして自身の名前を冠した1stアルバム『Harry Styles』を発表。それは全楽曲を自身が手掛けたロック色の強いアルバムだった。ワン・ダイレクションの持つポップ路線をさらに発展させることで、安全にソロデビューの成功ができる選択もあったはずだ。しかし、これまでとは違うハリーを大胆に打ち出した攻撃的な姿勢は、非常に挑戦的だったと言える。しかし『Harry Styles』には、小さな頃からハリーが触れてきた様々な音楽の影響を感じることができ、これこそがハリーの真骨頂だったのだと感じることができる。
harry styles – behind the album (full version)
※アルバム『Harry Styles』はジャマイカのスタジオで参加ミュージシャンとともに、セッションをするかのような形でレコーディングされている。
2019年にリリースされた2ndアルバム『Fine Line』は音楽的な密度の高さはもちろんだが、このアルバムを通じてハリーは大きなメッセージを投げかけている。それは「女らしさと男らしさには、もはや境界線なんてない」というハリーの言葉だ。それはアルバムのアートワークを飾るジェンダレスなハリーの姿からも、その意思表示が明確にされている。そんな新たなハリーが投影されたかのような『Fine Line』は様々な音楽アワードを手にしていく。2021年の第63回グラミー賞では3部門にノミネートされ、「Watermelon Sugar」で〈最優秀ポップ・ソロパフォーマンス賞〉の栄冠に輝いた。またイギリスの音楽の祭典であるブリットアワードでは、「Watermelon Sugar」が〈ブリティッシュ・シングル・オブ・ザ・イヤー賞〉を受賞している。ハリーはソロアーティストとしての名声を確実に高めていくことに成功したのだ。
Harry Styles – Watermelon Sugar (Lost Tour Visual)
ハリーの動きは音楽だけにとどまらず、2017年、クリストファー・ノーラン監督の戦争映画『ダンケルク』への出演で俳優デビューを飾った。評論家たちはハリーの演技を「快活で自信に満ち、意外にも全く違和感のない演技」と称賛。その後もマーベル映画の『エターナルズ』(2021)や、ベネチア映画祭や国際映画祭にも出品された『Don’t Worry Darling』に出演。そして映画『My Policeman (邦題:僕の巡査)』(AMAZONプライムで配信中)では、同性愛がタブーだった時代、愛し合う男性たちとその妻の複雑な三角関係を描く難しい作品で主演を果たしている。音楽とは違った顔を見せてくれるハリーを是非チェックしてみて欲しい。
My Policeman – Official Trailer | Prime Video
2022年はハリーにとって間違いなくエポックメイキングな年となった。そのひとつは、4月に開催されたアメリカ最大の音楽フェスティバル『コーチェラ・フェスティバル』でビリー・アイリッシュ、Ye(カニエ・ウェスト)とともにヘッドライナーとして出演したことだ。このニュースが発表されると音楽ファンの中で異論が起きる。「なぜ、元アイドルグループのハリーがヘッドライナーなのか?」という偏見の眼差しだ。確かにワン・ダイレクションとしての印象が強く残っている音楽ファンが、そう言いたくなる気持ちもわからなくない。ただ、ソロ活動を通じてハリーが大きく変化し覚醒していたことを見落としていた。
※GUCCIによるカスタムメイドのボディスーツを着て、2022年のコーチェラでヘッドライナーを務めたハリー。
Photo:Kevin Mazur/Getty Images for ABA
コーチェラでのステージのインパクトは凄まじかった。黒の独特なフェザーコートを着て登場したハリーは3rdアルバム『Harry’s House』の収録曲「As It Was」をパフォーマンス、それを曲の途中で脱ぎ捨て、GUCCIがカスタムメイドしたレインボーカラーに煌めくスパンコールを全面に配したボディースーツを纏っての姿はロックスターそのものだった。それはまさにイギリスを代表するアーティストであるフレディ・マーキュリーやデビッド・ボウイのような神々しささえ感じるものだった。会場にいた10万人の観衆のみならず、生配信されていたイベントの模様を通じて世界中の聴衆の度肝を抜いたのだ。それはヘッドライナーを飾るのに相応しい存在感を知らしめた出来事だった。
Harry Styles – As It Was (Live From Coachella)
「As It Was」はSpotify史上最速で5億再生を超えるなど世界はすかさず反応した。メインストリームとインディーがクロスオーバーしている現行のポップミュージックの醍醐味を凝縮したかのようなサウンドと、コーチェラでのパフォーマンスは、ハリーが新時代のロックスターであることを見せつけ、改めて彼の見え方を大きく変えるきっかけになったのだ。「As It Was」は全米チャート15週1位を記録、全米チャートのトップ3に史上最長となる29週ランクインし、Spotifyでは史上最速で15億回再生を突破する世界的なヒット・ソングになっていく。
そして、そんな追い風に乗ってハリーはソロ3作目となるアルバム『Harry’s House』をリリースする。ジャケットを飾るのは、裾がフリルになっている白のブラウスとワイドレックのジーンズ、そして靴はバレエパンプスという、女性的なフェミニンな姿のハリーだ。前作『Fine Line』同様、ジェンダレスなメッセージは今作にも踏襲されている。
サウンド面ではこれまでにもハリーが明確にリスペクトを捧げてきた1970年代から80年代のロックやポップミュージックを軸としながらも、最近のメインストリームにおけるトレンドも飲み込み見事に昇華させている。一方でメッセージ性としては、ハリーの心の状態や変化をテーマにした内省的な楽曲が多く含まれている。アルバムにおける音楽的、精神的なコンセプトを象徴しているとも言える「As It Was」は、サウンドの華やかさとは裏腹に、成功者だったハリーの苦悩や孤独を表す言葉が散りばめられていることに驚かされる。
“ベルを鳴らしても誰も助けに来ない”
“家に帰っても、成功しても、
ネットですぐに拡散される。
だから昔のことを話したくない”
Harry Styles – As It Was (Official Video)
※ ミュージックビデオの中のハリーは終始強張った表情をしながら、一人の女性を追い求め続ける。彼女との距離が近くなったかと思えば、また追いかける。しかし、エンディングは開放感に溢れ、満面の笑顔を見せるハリーがいる。
しかし最後に新しい自分の人生を踏み出そうとする言葉を何度も繰り返している。
“この世界は僕らだけ。
今までとは違う。
今までとはもう違うんだ”
ハリーの苦悩を救いだし、彼の心の支えになっていた「僕ら」は誰だったのか。それはパンデミックの中でハリーの拠り所となっていた恋人のオリヴィア・ワイルド(以下 オリヴィア)だと考えるのが自然だ。二人の出会いはオリヴィアが監督・出演する映画『Don’t Worry Darling』だった。この映画にハリーが起用されたことがきっかけとなり、2人は急速に接近していく。そしてパンデミックの渦中でハリーは10歳上のオリヴィアとの恋を丁寧に育んでいったのだ。
『Harry’s House』には、オリヴィアへの想いを窺わせる「Cinema」という楽曲も収録されている。ここでハリーは次のように言葉を綴っている。
“僕はただ君がクールだと思うんだ。
君の映画が好きだ。
もしかしたら君に
夢中になりすぎてるのかな?”
Harry Styles – Cinema (Audio)
オリヴィアとの恋はハリーにとって最も長い期間となったが、つい先頃雑誌『ピープル』が「2人が距離を置くことにした」と報じ、新聞「ニューヨークポスト」も事実上の破局だと報じた。関係者によると「2人の間に険悪なムードはない。ハリーがオリヴィアを捨てたわけではないし、その逆でもない」と語っている。2人の関係が気になるところだが、『Harry’s House』は過去のハリーと訣別しようとする意志が明確にされたアルバムといっていいだろう。そういう強い気持ちになれた理由としても、オリヴィアの存在が大きかったのは間違いない。
そして『Harry’s House』と「As It Was」は 、第65回グラミー賞で6部門にノミネートされた。しかもハリーとしては初となる主要部門の〈最優秀アルバム賞〉〈最優秀レコード賞〉〈最優秀楽曲賞〉も含まれている。どんな結果が待ち受けているのか発表が待ち遠しい。
そんなハリーの約5年振りの日本公演が2023年3月24日(金)、25日(土)に有明アリーナで開催されることが決定した。これまでプライベートでも何度も来日し、長期滞在しながらラフな服装で街に出没したり、ふらっと居酒屋やライブハウスに立ち寄ったりするなど自由気ままに過ごすほど大の日本好きのハリー。
Harry Styles – Music For a Sushi Restaurant (Official Video)
※ロサンゼルスの寿司レストランに行った時、ハリーの「Fine Line」が流れてきた面白い違和感から着想を得て作られた「Music For a Sushi Restaurant」。アルバムの中の秀逸なポップソング。
日本のポップミュージックにも造詣が深く、アルバムタイトルの『Harry’s House』は、細野晴臣が1973年に発表したアルバム『HOSONO HOUSE』がヒントになって付けられたというエピソードも語っている。かねてからパンデミックが収束したら日本に長期移住もしたいと語っていたハリー。ひょっとしたら今回の日本公演がきっかけで実現するかもしれないと思うとワクワクしてくる。
まさに現在進行形で大きな変革を起こし続けるハリー・スタイルズ。日本公演でのパフォーマンスは音源以上にとてつもないエネルギーが炸裂するはずだ。チケットを入手できた人は思う存分、そのステージを目に焼き付けておいて欲しい。