Adeleの歌が世界中から支持される理由は半径5メートルの私小説。

BY FEEL ANYWHERE
2022.10.31

アルバム『21』が世界セールス2,300万枚を超え、21世紀で最も売れたアルバムとして認定されたアデル。これまでにグラミー賞を15回受賞、2017年は主要3部門を総なめにするなど、現代のメインストリーム・ポップ・シーンを代表するシンガーソングライターだ。そんなとてつもない偉業を知らない人でも、彼女の力強く、そして繊細なメゾソプラノ・ボイスによる表現力豊かな歌声に魅了された人は多いことだろう。イギリスのメディアでは「トラフィック・ストッパー(“立ち止まらずにいられない”と言う意味)」と称されるほど、アデルの歌声は人々の心を鷲掴みにする。

そしてアデルの唯一無二の歌声と相まって、シンプルな生音や包み込まれるような雰囲気を感じるメロディが、聴く人たちに寄り添ってくれるのだ。しかしアデルは自分たちの隣にいるごく普通の少女で、しかも特別な音楽トレーニングや英才教育などには無縁だった。今回のアーティクルでは世界的なアーティストになっていった知られざる原点を紹介しながら、アデルの魅力を知ってもらえればと思う。

特別な女の子ではなかったアデルが見つけた偶然と必然。

2007年イギリスのブライトンで行われたGreat Escape Festivalにて、パフォーマンスを行う19歳のアデル。
Photo:Dave Etheridge-Barnes/Getty Images

 1988年にロンドンで生まれたアデルは、現在34歳。彼女が3歳の頃に父親は家族を捨てアデルのもとを去っていった。それ以降、母親に女手一つで育てられたアデルの生活は決して裕福なものではなかったが、多くのティーンたちと同じようにテレビやラジオから流れてくるスパイス・ガールズやデスティニーズ・チャイルドのヒット曲に夢中になり、ダンスを真似て歌うことが好きな子供だった。音楽が好きだったアデルが14歳になると、イギリスを代表するアーティストを多数輩出する芸術学校、ブリット・スクールに入学する。しかし、この時は明確な夢や高いモチベーションがあったわけではなく、将来は音楽に関係する仕事が何かできたらいいぐらいの漠然とした気持ちだったようだ。

そんな時、アデルに大きな影響を与えたアーティストと出会うことになる。それはショップのバーゲンの箱に入っていたベテラン・ブルースシンガーであるエタ・ジェイムズ(以下エタ)のCDだった。50歳も歳が離れたエタのことを知る由もなく、ジャケットにあったエタのレトロな髪型に惹かれ、それを真似てみたいと思っただけの衝動買いだった。しかしエタの歌声はアデルに大きな衝撃を与える。この偶然は、アデルが音楽に向き合うことを決意するきっかけとなり、エラ・フィッツジェラルドなどのクラシカルなジャズアーティストや、数々のソウルの名曲に没頭していくようになる。

“「Fool That I Am」を聴いて
何もかも変わったわ。
この曲を聴いて初めて
シンガーになりたいって思ったの”

Etta James – Fool That I Am
※アデルが初めて聴いた曲の「Fool That I Am」

さらにアデルの未来を決定的にしたもう一人のアーティストがいた。それはイギリスのシンガーソングライター、エイミー・ワインハウス(以下 エイミー)。レトロなポップスにR&Bやソウルを組み合わせたサウンドや、本物のソウルを感じさせるエイミーのハスキーな歌声が、アデルの心を捉えて離さなかった。エイミーがアデルと同じ北ロンドンのワーキングクラス(労働者階級)の出身だったことや、ブリット・スクールに通っていた5歳年上の先輩だったということも、距離を縮める要因だったかもしれない。

Amy Winehouse – Back To Black
※アデルに影響を与えたエイミーのデビューアルバム『Frank』に収録された「Back to Black」は全英1位を獲得、グラミー賞でも6部門でノミネートされた。リリースされたのはアデルが『19』をリリースした時と同じ19歳だった。

のちにアデルは『i-D』誌のインタビューで明確に語っている。

“もし、エイミーと『Frank』がなかったら、
100%ギターを弾いてなかったと思う。
「Daydreamer」も
「Hometown Glory」も
書いてないだろうし、
「Someone Like You」も
ギターで書いたの”

エイミーは残念ながら27歳の若さでこの世を去ってしまうが、アデルにとってその存在は絶対的なものになっていった。もしエイミーが生きていたら、アデルとエイミーの競演が見られたかもしれない。

それ以降、アデルはギターと作曲の勉強に本格的に取り組み始めていくが、学校ではとりわけ目立つ生徒ではなかったらしい。だがいつも協力的で、チームワークに長けていた存在だったようだ。マイペースな創作活動をしながら学生時代を過ごしたアデルだが、なんと学校を卒業して3日後にイギリスの名門インディーズレーベルXLと契約を結ぶという幸運が訪れる。そのきっかけは友人にプレゼントした学校の授業で作ったデモテープだった。その友人がデモテープを音楽SNSサイトに投稿したことで、レーベルの目に留まったという。

Adele singing daydreamer on Jools Holland live
※デビュー前にも関わらずイギリスの人気音楽番組「LATER with JOOLS HOLLAND」に出演した時のアデル。この曲はバイセクシャルだったボーイ・フレンドが、彼女ではなくほかの男の子を選んだという苦い思い出をもとに作られている。

アデルは誰かに影響を与えるような特別な人ではなかった。むしろ、自身が受けた影響をきっちり受け止め、それを糧にして、アデルという存在を生み出していったように思う。そしてアデルは、自分の年齢が記された1stアルバム『19』をリリースする。

誰の心にも響くアデルの私小説な半径5メートルの恋愛ソング。

Adele – “Chasing Pavements” LIVE from the ARCHIVE
※アデルの歌唱の凄さを理解できる「Chasing Pavements」。広域の音程を取りながら歌いあげるサビは、普通の人はまず歌うことができない。

インパクトのあるアレンジや、派手なサウンドの音楽がヒットチャートを賑やかしている時代と逆行するかのように、『19』はアコースティックギターを中心に、音数を極限までに削ぎ落としたミニマムなサウンドデザインで構成されたアルバムだ。そのアルバムで歌われているテーマは、自分の体験を元にしたラヴソング。アルバム収録曲「Chasing Pavements」は、カーペンターズやノラ・ジョーンズのような耳に心地良いメロディの曲だが、「私はあきらめるべきなの? 私はそこを去るべきなの?」と恋人への整理がつかない気持ちや葛藤をリフレインし続けている。

Adele – Rolling in the Deep (Official Music Video)
※失恋ソングだがアデルの歌声とビートが効いた力強さが、終わった恋の気持ちを整理する女性の力強さを感じる。「Chasing Pavements」に続き、 アメリカのテレビドラマ『Glee』でも歌われていた。

2ndアルバム『21』もまた、当時のアデルが実体験していた恋愛や失恋がモチーフだ。『19』でデビューしたアデルの生活が一変したことで、恋人との気持ちにすれ違いが生まれ、やがて恋人は彼女の元を去っていく。またもや大失恋をしてしまったアデルは、その溢れる悲しみをアルバム制作にぶつけていく。自分の元を去っていった恋人への恨みを歌い上げた「Rolling In The Deep」、結婚してしまった元恋人への忘れられない気持ちを歌った「Someone Like You」など、このアルバムはこの世界に存在するすべての恋の終わりを歌っているかのような感じさえする。

またレディー・ガガやテイラー・スウィフト、ケイティ・ペリーなど同時代のアーティストが、煌びやかなサウンドや壮大な世界観のミュージックビデオで魅了しているのに対して、アデルはシンプルなサウンドに私的な恋愛体験を歌い続けるという、まったく真逆なスタンスなのも興味深い。

“私の場合、常に曲が主役、音楽が主役で、
ミュージックビデオは
どうしようかなんていう話が
先に出ることは決してなかった。
キャロル・キングの作品が
そうであるように、
私にとって音楽は曲が主役で
ナチュラルに生まれてくるもの。
そうあるべきだと思っています”

引用元:GQ JAPANのインタビュー(2012.1.25)より

アデルの音楽との向き合い方がよくわかるコメントだ。確かにライブにおいても、アデルの別格ぶりに繋がっている。一般的にはライブステージに巨額な予算をかけて豪華なセットやダンサーを用意するものだが、アデルの場合はマイク1本を持ってステージで歌い、満員の観客を満足させて帰っていくという彼女にしかできないステージが最大の強みだろう。ちなみに、アコースティックな曲は地味でチャートに入りづらいという概念を打ち破った曲が「Someone Like You」。この楽曲の成功は、ジャスティン・ビーバーやエド・シーランなどのアコースティックソングもチャートに入ってくるような環境を作ったとも言える。

Adele – Someone Like You (Live in Her Home)

また多くのトップアーティストたちが人種問題やマイノリティ、政治などをテーマにした歌で社会変革のムーブメントを起こし始めていた中でも、アデルは一貫して誰にでも起きえる身近なことをテーマに歌い続けている。アデルが敬愛するエイミーもまた、自身の恋愛やプライベートな体験をネガティブな感情も含めて曝け出したストレートソングが多くの人からの支持を集めていた。身近なテーマを歌うことは決して恥じることではなく、国や人種を超え、共感や共鳴が共有されていることなのだと、アデルはエイミーの歌を聴いて気付かされていたのかもしれない。

そんなアデルの音楽に対するスタンスや強みを一番感じたのは3rdアルバム『25』に収録された「Hello」。電話が繋がらない恋人に「Hello(もしもし)」と呼びかける言葉が、シンプルかつ重厚なメロディに乗って聴く人の胸に刺さってくる。「Hello」と誰もが口ずさみやすく、難解な歌詞もほとんどないため、英語圏でない人たちにもシンプルに理解されやすくなっている。このシンプルな言葉のアプローチは、ビートルズの「ヘイ・ジュード」や「イエスタデイ」に通じるイギリス的なセオリーを踏襲しているかのようだ。

Adele – Hello
※30億再生を超えたMV。

アデルの歌は実に私的なものだ。アデルの歌は自身に起きた失恋体験や、生活範囲で起きている出来事をリアルに歌うことで、誰にも起き得るテーマとして共感を集め、人種や言葉を超えて、世界中の人たちにシンパシーを持たれる歌になっていったのだろう。

パブリックイメージとは違うアデルの素顔。

みなさんはアデルに対してどんなイメージを持っているだろうか。彼女の作品はジャケットビジュアルに笑顔はなくクールなものが多い。アデルの音楽と相まって、どことなく崇高で近寄り難いイメージなのではないだろうか。しかしその素顔は実に飾り気のないキャラクターで、そのギャップに驚かされる。

例えば2017年のグラミー賞でのエピソード。その年のグラミーは盟友で仲の良いビヨンセの『レモネード』との一騎打ちとされていたのだが、結果としてはアデルの『25』が主要3部門を独占しての受賞となった。その時のアデルのスピーチと振る舞いが彼女の性格を表している。アデルは黒人コミュニティに大きな影響を与えたアルバム『レモネード』でノミネートされていたビヨンセが受賞するべきだったと訴え、ビヨンセの偉大さを泣きながら称えている。

Adele Wins Album Of The Year | Acceptance Speech | 59th GRAMMYs
※アデルのコメントに涙ぐんでしまうビヨンセの映像も。

“今年の最優秀アルバム賞は絶対に
ビヨンセの『レモネード』が
獲るべきでした。
このアルバムは、途方もない作品で、
とても深く考えられていて、
美しくて、魂が込められ、
あなたのいつもと違う一面を
見ることができました。
そのことに対して、
私たちは感謝しています。
あなたを愛しています。
いままでも、ずっとこれからも”

そしてアデルはグラミーのステージ上で、その言葉通りビヨンセとトロフィーを分けようとして、真っ二つに壊してしまうという前代未聞のハプニングを起こしてしまったのだ。イメージを気にすることなく行動するアデルの繊細かつ大胆な性格を垣間見れた出来事だ。

Photo:Kevin Winter/Getty Images for NARAS

アデルは常に謙虚だったという話は、ブリット・スクールの関係者が次のように証言している。

“グラミー賞を総なめにするほど
大成したいまも、
彼女は決して驕ることなく、
常に等身大であり続けている。
これはすごいことです”

引用元:WIRED (2017.02.17)

また『19』が大ヒットをしている最中でも、翌年にブリットアワードの批評家賞を受賞するまで、ロンドンのラフトレードでレコード分類係のバイトを続けていたという、なんだかほっとしてしまう庶民的なエピソードも。

アデルに73の質問 ─ イギリスとアメリカの違い、音楽を志す人へのアドバイス。| 73 Questions | VOGUE JAPAN
※アルバム『30』リリース時に公開されたVOGUEによるインタビュー企画。今まで見たことのない素顔のアデルを感じることができるはず。

注目するのはアデルのお茶目な一面だ。彼女は誕生日やハロウィンには必ずと言っていいほど、憧れの人やキャラクターに変身しパーティを行っている様子をインスタグラムで見ることができる。クール・ビューティーなアデルからは想像できない変身ぶりに驚かされる。


カントリー・ミュージックの第一人者として知られるアメリカのシンガーで女優、そして実業家でもあるドリー・パートンに変装したアデル

インスタグラムに時々投稿されるサプライズな写真からは、たくさんの人たちを楽しませようとするアデルの人柄が伝わってくる。今年のハロウィンはどんなスタイルで、私たちを楽しませてくれるか楽しみに待っていよう。

アデルが歌う30歳とこれから。

2021年にリリースされたアルバム『30』のジャケット写真。

アデルのアルバムはいつも数字表記だ。これはアデルがアルバム制作をスタートさせた時の年齢で、これまでリリースされたアルバムは、その時代にアデルに起きた私的なエピソードがテーマとなっている。2021年にリリースされた最新アルバム『30』もまた同様で、夫であるサイモン・コネッキとの結婚と離婚を経験したのと同時に、最愛の息子・アンジェロの出産を経験したアデルの激動な日々に基づいたとても私的な作品だ。アルバムのリード曲となった「Easy On Me」には、サイモンとの関係が上手くいくよう努力をしたけれど、結果としてはその関係を手放さざるをえなかった心境が綴られている。

ミュージックビデオの冒頭はその悲しみを反映するかのように、これまで暮らしていた家から出て行くアデルの姿がモノクロームで写し出されている。しかし後半からはカラーの映像に変わり「自分を許そう」と決意するアデルの前向きさに、私たちは共感することができる。トップアーティストになっても、恋人であり夫であった男性との別れは辛く、私たちの経験にも重なって聴こえてくる。『19』から一貫して変わることのない、自分自身を曝け出す歌は、多くの人が共感していく理由のひとつだろう。

Adele – Easy On Me (Official Video)
※冒頭に登場する家は「Hello」のMV撮影でも使われた家。映像においても25歳のアデルと現在のアデルは一つの物語として繋がっている。

そして『30』にはもうひとつのテーマが存在する。それは息子アンジェロへの想いだ。アデルはこのアルバムをアンジェロ宛への手紙ととらえ、父親と別れることになった贖罪や、彼女の気持ちを包み隠さず明かしているのだ。いつかこのアルバムをアンジェロが聴き、なぜ自分に父親がいないのか、そしてその後の人生をどのように生きていこうとしたのかを理解してもらうために。その根底にあるのは、理由もわからずアデルの元を離れていった父親のようになってはいけないという強い想いがあったのだと思う。アルバムのリード曲となった「Easy On Me」は直訳すると「優しくして」「大目にみて」というような意味だが、これは誰に向かっている言葉なのだろう。アデルの言葉を理解すれば、それはアデル自身や、夫のサイモンに対してではなく、いつかこのアルバムを聴くアンジェロに対しての素直な気持ちなのだと気付かされる。

そして、このアルバムのもうひとつのハイライトは「I Drink Wine」。大切な人との関係を保とうとした苦労や、それができないことへの後悔、そしてそれらを乗り越えて前に進もうとするアデルの胸の内が痛いほどに伝わってくる。ピアノのシンプルなメロディとゴスペル調のコーラスとともにアデルの歌が胸に沁みる。何かに落ち込んでいる時に、同じような想いをもってこの曲を作り上げたアデルの歌が寄り添ってくれるはずだ。

Adele – I Drink Wine (Live at The BRIT Awards 2022)

アデルの人生においてわだかまりのあった父親は、2021年5月に癌との闘病の末に亡くなった。それまで話をすることもないほど、父親への気持ちは冷めていたアデルだが、死の直前の父親と再会をしている。そこで父親に見捨てられたという気持ちや、痛みなどをストレートに伝えたという。そして『30』に収録される新曲も聴いてもらっていたのだ。アデルはようやく父を許すことができたのかもしれない。

私たちと同じようなキャリアを持ち、同じように様々な悲しみや辛さを持つアデルだからこそ、私たちはアデルの歌に惹かれているのだろう。

最後に、2011年4月に発売された雑誌『ローリングストーン』に掲載されたアデルの言葉を紹介する。時が経っても、アデルの考え方が一貫した言葉だと思う。

“私はみんなの目を楽しませるために
音楽を作っているのではないの。
耳で楽しんでもらうためよ”

The BRIT Awards 2022でのアデル。
Photo:JMEnternational/Getty Images

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