破天荒なRed Hot Chili Peppersが愛し続ける3人のギタリストたちとの物語。

BY FEEL ANYWHERE
2022.09.02

世界中のロックファンが待ち望んでいたレッド・ホット・チリ・ペッパーズ(以下 レッチリ)が、遂に活動を再開した。しかも2009年に脱退し、レッチリの黄金時代を築いたギタリストのジョン・フルシアンテが復帰しての活動再開だけに、世界中のレッチリ・ファンは歓喜して盛り上がっている。2022年4月には6年振りとなるオリジナル・アルバム『Unlimited Love』をリリース。現在はアメリカ、ヨーロッパ、オセアニア38都市で開催される「グローバル・スタジアムツアー」を敢行中だ。

一般的には破天荒なパブリックイメージが強いレッチリだが実は愛情深く、たくさんのアーティストへのリスペクトを忘れないバンドだ。それはレッチリを支えてきた3人のギタリストへの気持ちも同じものだ。この特集ではそんなレッチリの重要なキャリアを取り上げつつ、彼らに欠かすことのできない3人のギタリストとの物語を紹介していこう。

ストイックに音楽を追求する姿と破天荒すぎるパフォーマンス。

1986年12月12日、ニューヨーク州リッツで行われたパフォーマンス前に一緒にポーズをとるレッチリの初期メンバー。左からジャック、ヒレル、フリー、アンソニー。Photo:Gary Gershoff/Getty Images

レッチリは1983年にアンソニー・キーディス(Vo.)とフリー(Ba.)、ヒレル・スロヴァク(Gt.) 、ジャック・アイアンズ(Dr.)の高校の同級生でバンドを結成。1984年にアルバム『The Red Hot Chili Peppers』をリリースし、キャリアをスタートさせた。その音楽性はひとつのスタイルに留まらず多岐に渡っている。レッド・ツェッペリン、ジミ・ヘンドリックスなどをベースとした〈ハードロック〉、セックス・ピストルズやザ・クラッシュなどをルーツとする〈パンクロック〉、ファンカデリック、スライ&ザ・ファミリー・ストーンなどから影響を受けた〈ファンクロック〉など、様々なロックのエッセンスを感じることができる。

彼らはひとつのロックスタイルに固執することなく、自分たちがカッコいいと思う音楽のエッセンスを掛け合わせていくことで、今までに聴いたことのないようなロックサウンドを作り上げていった。そんなレッチリのロックサウンドは若者たちを夢中にさせ、日本においては〈ミクスチャーロック〉と呼ぶようになり、当時の日本のロックバンドたちにも大きな影響を与えていくこととなる。

2006年に発表した「Dani California」のミュージックビデオでは、前述のアーティスト以外にもエルヴィス・プレスリー、ビートルズ、プリンス、デヴィッド・ボウイ、マーク・ボラン、モトリー・クルーなど歴代のロック・レジェンドたちに扮したレッチリの4人。彼らがいかに多くのアーティストたちをリスペクトしてきたかが理解できる作品だ。

Dani California [Official Music Video] -レッド・ホット・チリ・ペッパーズ-

一方でこの頃から破天荒な行動も多く、アルバム制作のために渡されたお金をすべてドラッグに注ぎ込んだり、全裸に靴下だけという姿でアビーロードを歩く姿をEPのジャケットにするなど物議を呼んだ。しかし、このエキセントリックさがレッチリの音楽性とマッチし若者たちの心を掴んでいった。

しかし、その中で悲劇が起きる。サード・アルバム『The Uplift Mofo Party Plan』発表後の1988年、ギターのヒレルがヘロインの過剰使用によるドラッグ中毒で、26歳の若さで亡くなったのだ。ヒレルはアンソニー、フリーの無二の親友であり、いじめられっ子で暗い性格だったフリーにベースの基礎やロックそのものを教えた師でもあっただけにその失意は大きかった。またヒレルと仲の良かったドラマーのジャックは、このことをきっかけにバンドで活動する意欲を失い、最終的にはバンドを離脱することになる。まさにこれからという時にアンソニーとフリーは大切な友を失い、バンドは崩壊状態に陥っていく。

Red Hot Chili Peppers 8/17/1985 (Live Footage) {Hillel Slovak era}
※2ndアルバム『Freaky Styley』リリース直後、「Live Footage」のステージでヒレルのパフォーマンスを見ることができる。

悲しみの後に訪れたレッチリ初のブレイク。

アンソニーとフリーの精神状態は最悪な状態だったが、音楽活動を続けることを決心。アンソニーは自身のドラッグ依存を断つために施設で治療を受け始めると同時に、新たなバンドメンバーを探し始める。そんな中で8歳歳下の若きギタリストであるジョン・フルシアンテ(以下、ジョン)と運命的な出会いをする。ジョンはレッチリの大ファンで、ギターとベース、歌詞をすべて暗記するほどのめり込んでいた。またジョンにとってヒレルは少年時代から憧れていたギタリストだった。お互いにとってジョンのバンド加入は必然だったのかもしれない。そしてドラムには、その後のレッチリのリズムを支え続けることになるチャド・スミス(以下 チャド)も加わった。
この新たなレッチリの4人で制作した4作目のアルバム『Mother’s Milk』(1989)は、初めてBillboardのTOP100にチャートイン、レッチリの出世作として、レッチリの黄金期を築くきっかけとなる大きな意味合いを持つものになった。

Red Hot Chili Peppers – Knock Me Down (Mother’s Milk)
※この動画で使用されている写真は『Mother’s Milk』のジャケット写真。そして楽曲はヒレルに贈られた「Knock Me Down」である。裏ジャケットにはヒレルが生前に描いた裸婦像も使われるなど、ヒレルへの気持ちが伝わってくるアルバムになっている。

そして1991年にレッチリの名前を不動にする大名盤『Blood Sugar Sex Magik』を発表。リードシングルの「Give It Away」は、全世界で大きなリアクションとなった。ジョンのクォーターチョーキングとうねるような独特なギターがイントロから炸裂、トリッキーで攻撃的なフリーのベース、突き抜けるチャドのスネア、それぞれがバラバラなようで一つの音の塊にさせている。そこに、さらに畳かけ熱量を生み出すのがアンソニーのラップ。「Give It Away」では各人の演奏の良さを理解することができ、レッチリが生み出した〈ミクスチャーロック〉の醍醐味を感じることのできる楽曲であるだろう。音楽史上に残るグルーブ感を持ったこの曲は、若者たちを熱狂させ、グラミー初受賞にも輝く大ヒットナンバーとなる。

Give It Away [Official Music Video] -レッド・ホット・チリ・ペッパーズ-

またこのアルバムで特筆すべきは「Under the Bridge」。美しいアルペジオギターが印象的なこの楽曲は、ヒレルの死後にドラッグを絶とうとしていたアンソニーの孤独と、その自分を見守ってくれるロサンゼルスの街に対しての想いを綴ったバラードナンバーだ。いままでのレッチリには無かったセンチメンタル感溢れた曲調も反響を呼び、全世界で1,200万枚のセールスを記録するなど、レッチリの〈静〉の魅力を知らしめることになった。そして、いまではレッチリのライブ・セットリストで定番になっている「Under the Bridge」から一点し、激しいリズムを刻む「By the Way」への流れは堪らない高揚感だ。

Under The Bridge [Official Music Video] -レッド・ホット・チリ・ペッパーズ-

絶頂期が訪れたかのようなレッチリだったが、またもや暗雲が漂い始める。1992年に2度目の来日公演を開催していた最中にジョンが脱退表明、ツアー中であるにも関わらずなんと帰国してしまい、その後の公演は中止となる前代未聞の事件を巻き起こした。当時のジョンはレッチリのギタリストであることに大きなプレッシャーを感じドラッグへの依存が激しくなり、また深刻な鬱も患っていたという。ジョンの穴を埋めるべくザンダー・シュロスに声をかけるが「レッチリ向きのプレイではない」と4日で解雇。その後もギタリストはたびたび変わり定着することはなかった。そして遂には解散の影もちらつき始める。ジョンと言えば身体はボロボロになり、一時は死の淵を彷徨う状態だった。その間でもフリーは「ドラッグを止めて、もう一度音楽を一緒にやろう」とジョンを懸命に励まし説得し続けていたという。そしてもう一度、レッチリでギターを弾きたいという強い信念をもったジョンは、ドラッグ治療のために入院、徐々に立ち直っていった。

ジョンとの久しぶりのリハーサルの時のことをアンソニーはこう振り返っている。

“ジョンはエキサイトすると、80億ボルトの発電機みたいになるんだよ。
何もかもをなぎ倒して、クリスマスツリーを飾ろうとする小さな子供みたいにカオスでさ。
彼が最初のコードを鳴らした瞬間、欠けていたパズルのピースが見つかった気がした。
このメンバーによるこのバランス感、俺がずっと求めていたのはこれだって確信したんだ”
※2000年4月27日「Rolling Stone」のインタビューより

ジョンはかつての身体を取り戻し、7年の時を経て1999年にレッチリへの再加入を果たす。

紆余曲折して掴んだレッチリの黄金期。

レッチリ黄金期のメンバー。左からフリー、アンソニー、ジョン、チャド。Handout Photo:MTV/Getty Images

ジョンが復帰した『Californication』(1999年)をリリースするニュースに、世界中のロックファンが沸き立った。そして2度目のグラミー受賞曲「Scar Tissue」を収録したこのアルバムは、レッチリのキャリア史上で1,600万枚を超える最高セールスを記録、20世紀のロック史の名盤と言われるのも頷ける。このアルバムの特筆すべき点は、それまでのハードでアグレッシブ一辺倒なレッチリから、〈メロディック・パンクロック〉とも言える新しいレッチリのサウンドが提示されたことだ。そこでのジョンの役割は非常に大きかった。力が抜けた乾いたようなスモーキーなサウンドを自由に使いこなし、トリッキーなフレーズを畳み掛けるギターの音。廃人同然だった7年間に何かを悟ったように円熟度を増したジョンは、ブランクを感じさせないどころか大きく覚醒して復活を遂げた。

『Californication』の1曲目を飾るのは、激しさと静けさが共存する「Around the World」。ジョンが復帰したアルバムの1曲目を飾るに相応しく、各メンバーの個性と凄さを見せつけられる楽曲になっている。 アンソニーの言葉通り、欠けていたパーツが見つかったことで、すべてのパーツは強烈なパワーを放ち始めていった。

Around The World – Live at Slane Castle -レッド・ホット・チリ・ペッパーズ-

2002年には10カ国以上でチャート1位となったアルバム『By the Way』をリリース。バンドの成長と共にジョンに対するアンソニーとフリーの信頼と期待はさらに大きくなり、このアルバムでは楽曲制作や方向性のほとんどがジョンに委ねられていた。そこでジョンが追求したのがキャッチーなメロディと豊かなハーモニーだった。アルバム表題曲の「By the Way」ではジョンのギターソロはなく、アンソニーのボーカルを最大限フィーチャーし、バンド全体のアンサンブルの素晴らしさを引き出していこうとしていた。そして「By the Way」は、その後のレッチリの多くのライブでフィナーレを飾る定番の曲に育っていった。そしてこのアルバムからは、ライブのオープニング曲として定着した「Can’t Stop」も生まれるなど、その後のレッチリの骨格を作り上げたアルバムと言えるだろう。

By The Way [Official Music Video] -レッド・ホット・チリ・ペッパーズ-

またレッチリの各メンバーの深い関係性を感じられるのは、フリーとジョン、チャドによるジャム・セッションだ。無骨でファンキーなベースと壮絶な早弾きのギターが絡み合う唸るようなセッション。そこにチャドのリズムが入り、次第にはっきりした音の輪郭が作られていく。最近の世代の人たちはボーカルのないパートを聴き飛ばしてしまう傾向があるようだが、是非レッチリの即興的な音の掛け合いを聴いてみてほしい。それぞれの阿吽の呼吸感と信頼があるからこそ、セッションだけで聴衆を虜にすることができるのだろう。

Can’t Stop(Live Earth, London) -レッド・ホット・チリ・ペッパーズ-

2006年には2枚組アルバム『Stadium Arcadium』をリリース。それまでにグラミーほか様々な賞を総なめにしていたレッチリだが、このアルバムで遂にBillboard TOP100の1位を獲得、日本を含む24カ国でもアルバムチャート1位となり世界を席巻していった。そしてレッチリが初めてグラミーの「最優秀ロックアルバム賞」を受賞したのもこのアルバムだった。

ところがジョンはこのアルバムでレッチリでの自分の役割を終えようと考えていた。というのも前作『By The Way』を完成したのち、彼の音楽創作は留まることを知らず、2004年にはなんと4枚のソロアルバムを発表していた。ここでのちのレッチリのギタリストとなるジョシュ・クリングホッファー(以下ジョシュ)と出会いアルバムを共同制作するなど親交を深めていく。そしてジョンからの信頼を得たジョシュは『Stadium Arcadium』のワールドツアーの途中から、バック・ミュージシャンとしてレッチリのライブに参加するようになる。

そしてジョンは、2009年に再びバンド脱退をする。

しかしそれは前回の脱退とは違い、自分自身の音楽を追求しようとするポジティブなものだった。そして自分がいなくなった後もレッチリの活動が滞ることのないように、その役割をジョシュに引き継がせていこうとしていのだ。アンソニー、フリー、チャドの3人はジョンの意思を尊重し、円満に違う道を歩き始めることになる。こうしてレッチリの黄金期の幕は静かに降りていった。

レッチリが愛し、レッチリを愛したギタリストたち。

ジョンという偉大なギタリストを引き継いだジョシュの存在はとてつもなく大きいものだ。当時のレッチリはアンソニーとジョンのツインボーカル曲も多くなり、ジョンのコーラスがなければ成り立たないようなものもあった。またアンソニーの中には常にヒレルの存在があった。

“ギタリストの座が安定しないのは、誰もヒレルの穴を埋められないから”

このアンソニーの言葉の意味は大きく、ジョンを除く多くのギタリストが、ヒレルの幻影を乗り越えることが出来ずに短命に終わっていった。

アンソニーのヒレルに対する想いは、アルバム『The Getaway』(2016)のジャケットから読み取ることができる。ひとりの少女と3匹の動物をモチーフとして描かれたこの絵に、アンソニーはとても惹かれていたのだという。のちにフリーが語っているが、アンソニーはこの絵にバンドを投影していたようだ。がっしりとした熊はチャド、軽快に歩くアライグマはフリー、前を冷静に見つめるカラスはアンソニー、そして少しうつむき加減の少女はジョシュを表しているのだと。確かに全員がバラバラの個性なのに、真っ直ぐ同じ方向に進んでいる姿はレッチリとの重なりを感じてしまう。

Red Hot Chili Peppers – The Getaway (30 Minute Extended Version)
※この動画で使用されている絵は、アルバム『The Getaway』のジャケットで使用されている。左半分はジャケットの表面で使用されている部分。右半分は裏面。

そしてこのジャケットには続きがある。ブックレットの反対(CDの裏)に4人の先には、もうひとり駆け抜けていくキツネの姿が描かれている。このキツネは誰なのか? それは今でもレッチリのメンバーとして生き続けるヒレルの姿なのかもしれない。そう眺めて見ると『The Getaway』がさらに興味深いものに感じられる。

ジョシュはアンソニーからはヒレルを求められ、ファンからはジョンを求められるシビアな環境の中で2009年から10年間もレッチリを支え続けた。気がつけばこれまでのギタリストの中で一番長くバンドに在籍したギタリストになっていたのだ。

2017年のボナルー・フェスティバルでパフォーマンスするジョシュ。Photo:Jeff Kravitz/FilmMagic for Bonnaroo Arts and Music Festival

しかし冒頭で紹介した通り、ジョンが再々度レッチリに戻ってくることが2019年末に発表された。ファンは歓喜した。しかし同時に、ジョシュがどうなるのかを気にせずにはいられなかった。ジョンが復帰することについてジョシュはこう振り返っている。

“間違いなく彼が戻るべき場所だから、『僕がいるべきなんだ』なんて思いもしなかった。
だから僕は彼のためにも幸せだし、彼がバンドのみんなと復活することが幸せだ”

ジュシュの思うことはたくさんあったはずだ。しかしその振る舞いは実に大人であり、レッチリとジョンへの最大のリスペクトを込めた言葉だった。ひょっとしたらジョシュは心のどこかで、ジョンのいるレッチリを待ち望んでいたのかもしれない。そんなことを感じさせるジョシュの言葉だと思う。

2023年はレッチリ結成40周年。果たして日本公演があるのか?

ジョンからジョシュに渡されたバトンは再びジョンに渡された。そして『Stadium Arcadium』以来約16年ぶりとなるジョン復帰作となったアルバム『Unlimited Love』が完成。このアルバムはジョンが不在だった時間を感じさせることなく、黄金期のレッチリを受け継いだサウンド感が充満している。かつてのアグレッシブさは影を潜めながらも、ファンが望んでいた歳を重ねていったレッチリのロックサウンドが凝縮されているかのようだ。振り返ってみるとレッチリは不思議なバンドだ。アンソニーとフリーという絶対的なコアがあるのにも関わらず、ギターというポジションに常に影響され続け進化してきたバンドなのだ。気まぐれなジョンは、またひとりで違う道を歩んでいくこともあるかもしれない。そんなことを受け止めながらも、これからもレッチリは歩みを止めず続いていくのだろう。

These Are The Ways -レッド・ホット・チリ・ペッパーズ-
※人気音楽番組「ジミー・キンメル・ライブ!」では、ハリウッドのルーズベルトホテル屋上でのパフォーマンスを披露。

2023年はバンド結成40年。そのメモリアルな年に日本公演が追加発表されることを待ち望んでいたい。この原稿を書いている最中にオセアニアツアーの発表があったので必ずアジアツアーがあることを信じていよう。

そしてゲストギタリストでジョシュが登場してくれたら、どんなに素晴らしい光景だろう。そんな夢のようなステージが夢ではなく、現実になってくれることをどこかで願っている。そこにはきっとヒレルの姿も感じることもできるのではないだろうか。

それは間違いなく史上最強のレッド・ホット・チリ・ペッパーズだ。

PLAYLIST